四国あるき遍路  ☜ 🚶 2 日目

四国あるき遍路 ☜ 🚶 2日目 平成25年3月1日(金)

別格1番大山寺 6番安楽寺 7番十楽寺 8番熊谷寺 9番法輪寺 10番切幡寺

☆☆

平成25年3月1日(金) 
88箇所四国あるき遍路2日目  
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年3月1日は民宿森本屋〜別格1番の大山寺〜6番安楽寺〜7番十楽寺〜8番熊谷寺〜9番法輪寺〜10番切幡寺〜11番藤井寺近くの旅館吉野まで 34.2km
☆☆
民宿森本屋6:00〜別格1番太山寺8:09/8:41〜6番安楽寺10:06/10:38〜7番十楽寺10:53/11:22〜8番熊谷寺12:09/12:47〜9番法輪寺13:09/13:37〜10番切幡寺14:23/14:47〜うどん亭(昼食)〜吉野川土手16:24〜旅館吉野17:51  歩行距離34.2km 歩数44,460歩
☆☆

民宿森本屋の朝食 05:45 01.03.2013 Breakfastof the day

民宿森本屋の朝食 05:45 01.03.2013 Breakfastof the day

別格1番大山寺への道 07:07 01.03.2013

別格1番大山寺への遍路道 07:24 01.03.2013
Henro trail to bangai 1st Taisanji temple

別格1番大山寺への遍路道 07:34 01.03.2013
車道もありますが常に遍路道を選び歩きました
Henro trail to bangai 1st Taisanji temple

八丁目休憩所  07:44 01.03.2013
Rest area

太山寺の大杉  08:07 01.03.2013
Large Japanese cedar

別格1番大山寺の仁王門(屋根は修理中かブルーシートで覆われておりました)08:09 01.03.2013
Sanmon of bekkaku Taisanji temple

☆☆


平成25年3月1日(金)
番外別格1番大山寺 ( Butsuouzan Taisanji, Ex. 1st of Shikoku 88 )
Above sea level 448m
番外別格1番札所 佛王山 大山寺 (ぶつおうざん たいさんじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざらたらま きりく
開基  西範僧都 弘法大師
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 さしもぐさ たのむちかひは 大山の 松にも法の 花やさくらむ)
所在地 徳島県板野郡上板町神宅字大山14-2
f:id:boianuf:20190630174205j:plain
☆ 略縁起、当山は西暦500年頃、武烈継体天皇の御宇西範僧都の開基にして、阿波仏法最初の道場で、弘法大師が阿波入国の砌、堂塔を整えられ仏王の山号を奉り、恵果和尚より授かりし、千手千眼観自在菩薩の尊像を奉安し、四国霊場開創の根拠地とされる。寿永四年、源義経公、屋島合戦の砌、御登山戦勝を祈願、又安貞年中土御門上皇御登嶺護摩堂を建立、不動明王像を奉納、病気平癒の祈祷会を厳修される。蜂須賀侯阿波国に入国されるや尊崇厚く、御祈願所として御供田その他を奉納される。伝統四百年の力餅は、七条の城主出羽守兼仲公にまつわる行事にして現存。開運招福の寺、男女縁結びの寺として知られる。頂上は阿長讃淡紀泉河摂播備等十州を望見される景勝地。徳島百景のひとつ。奥之院黒岩大権現には弘法大師ご湧現の波切不動尊がまつられている。
案内・地図、JR高徳本線板野駅よりタクシー20分(10キロ)。または徳島駅より鍛冶屋原徳島バスにち「神宅」下車、タクシー(電話にて呼ぶ)で15分(6キロ)神宅より徒歩の場合は、大山野外センターか四国の路の標識に従って車道を登る。旧道は季節によって草が茂っている。また、道を尋ねるとき寺の正式名称よりは、通称の「おおやまさん」の方がよくわかる。車の場合、阿讃東部広域農道より大山野外センターか四国の路の標識に従って大山寺へ。ただし、寺の手前500メートルくらいのところで野外センターへの路と寺への道とが分かれているので、そこからは寺の標識に従う。駐車場あり。(四国ネットより) ☆

別格1番大山寺山門の仁王像  08:09 01.03.2013
Nio image of bangai 1st Taisanji temples Sanmon

別格1番大山寺山門の仁王像  08:09 01.03.2013
Nio image of bangai 1st Taisanji temples Sanmon

別格1番大山寺の仁王門から本堂への石段 01.03.2013
Stone steps upto bangai 1st Taisanji temple

別格1番大山寺の仁王門から本堂への石段 01.03.2013
Stone steps of the bangai 1st Taisanji temples from Sanmon

石段を上りきると鐘楼門 14.08 01.03.2013
Bell Tower Gate of bekkaku Taisanji temple

別格1番大山寺の鐘楼門、では中央に紐があり引くと鐘が鳴りましたゴ〜ン〜 08:15 01.03.2013
Bell Tower Gate of bekkaku Taisanji temple

別格1番大山寺の本堂 41.08.2013 01.03.2013
Main hall of bakkaku Taisanji temple

別格1番大山寺の本堂 08:16 01.03.2013

別格1番大山寺の本堂 08:34 01.03.2013

屋根から落ちた雪がまだ残っており寒かったです 08:33 01.03.2013 a remaining snow

この寺は三宝に載った重い餅を持ち上げ運ぶ力餅で有名(白い像はその様子)08:33 01.03.2013

別格1番大山寺の大師堂 Daishi hall of Taisanji temple 08:41 01.03.2013

別格1番大山寺の境内の大銀杏 08:40 01.03.2013
08.34 01.03.2013
午前中に予約していた宿をキャンセルすべく電話をすると「昨日はどこに泊まられてんで〜」
と聞かれ森本屋と言うと、「そりゃ〜近すぎる、うちはかんまんけんもっと先へ行きない」と
快くOKしてくれた。従い12番焼山寺へのへんろ転がしの手前、鴨島の旅館吉野を予約した。

別格1番大山寺からの下り道 09:06 01.03.2013



板野郡上板町鍛冶屋原西北原の松島神社 09:57 01.03.2013

☆☆


平成25年3月1日(金)
6番安楽寺 ( Onsenzan Anrakuji, 6th of Shikoku 88 )
Above sea level 19m
第6番札所 温泉山 案楽寺 (おんせんざん あんらくじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 かりのよに ちぎょうあらそふ むやくなり あんらくこくの しゅごをのぞめよ
所在地 徳島県板野郡上板町引野字寺ノ西北8
f:id:boianuf:20190617123850j:plain
☆ 逆松(さかまつ) - 修行中の空海を猟師が猪と間違って矢で射たが、矢は松に刺さって事なきを得た。そこで空海は射抜かれて折れた松を逆さに植え、この松が栄えたならこの地を訪れたものは厄災を免れるだろうと予言したという。
願い棒:修行大師像の前に置かれた願い棒を年齢の数だけ持ち経を唱えて像の周りを巡り願を懸ける。
四国八十八箇所モデルトイレ - 霊場の雰囲気にあったつくりで1998年に設置されたもので、四国霊場の雰囲気を壊さない外観でバリアフリーにも配慮されている。
竜宮門型の鐘楼門を入ると右に手水鉢が置かれ、左側には回遊式日本庭園があって、池の奥に多宝塔が建つ。正面奥に本堂が建ち、その右手に大師堂、左側に観音堂がある。本堂付近に修行大師像と願い棒が、多宝塔の近くに逆松がある。(Wikipediaより)☆
☆ 田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある (四国ネットより) ☆


6番安楽寺の山門 10:06 01.03.2013
6番安楽寺の由来
平安時代前期弘仁六年(815)弘法大師四国霊場御開創のみぎり、大師当地mにおいて四十二才の大厄をのがれられ(さかまつの由来)自ら薬師如来の尊像を刻み、請藍を建立、安楽寺命名された。山号を温泉山と号し、弘法大師が我が国に温泉湯治の利益を伝えた全国でも珍しい旧跡である。「四国遍礼霊場記」元禄二年(1689寂本著)には「相逐来て医王の神化をひとみな仰ぎ、寺院繁栄に至り、十二宇門甍を接し、鈴鐘のひびき耐える時なし」と記され、安楽寺谷川の滝の行場や瓦が出土する古代寺院跡、雨宝堂とよばれている庵、神社、平安時代の線刻仏等、周辺に史跡が点在し、当時の広大な寺域が想像できる。この地は安楽寺谷川の水源と辺りの森を神とし、早くから開けた土地で「日置の荘」(引野)と呼ばれる広大な荘園であった。南北朝時代天授五年(1379)熊野新宮に寄進され、熊野の山伏(六坊)が熊野権現を祀った。近世となり、仏式の葬式等丁寧に先祖を祀る習慣が定着すると安楽寺はこの荘域に檀家を持つようになる。安土桃山時代慶長三年(1598)蜂須賀家正公の御信仰篤く、阿波の国主として入国するや、当山を駅路寺(管寺)と定め庇護された。茅葺の方丈(登録有形文化財)が当時を物語っている。神仏分離廃仏毀釈の歴史を経ても信徒の恩願深く四国霊場六番札所、温泉のある宿坊として現在に至っている。当寺は灌頂窟という道場を有す。願わくば参籠し、くす供養を以て先祖を廻向し自らも仏道を成ぜんことを。(寺の案内板より)

Sanmon of Anrakuji temple

お遍路がお参りに来ました 01.03.2013
Ohenro of Shikoku pilgrimage 88

6番安楽寺のさか松  10:33 01.03.2013
Precincts of the Anrakuji temple

安楽寺には宿坊があります、番外を打たないあるき遍路はここらが初日の宿泊になるかな? 
10:32 01.03.2013 Temple lodging (right) at Anrakuji

6番安楽寺の境内 10:36 01.03.2013

6番安楽寺境内のさかまつ 10.34 01.03.2013

6番安楽寺の本堂 10.33 01.03.2013

6番安楽寺境内からの山門10.33 01.03.2013

6番安楽寺本堂拝殿と方丈10.33 01.03.2013

6番安楽寺本堂拝殿と方丈10.33 01.03.2013 

6番安楽寺山門にて   10:37 01.03.2013
at Sanmon of Anrakuji

真念道しるべ  10:44 01.03.2013


平成25年3月1日(金)
7番十楽寺 ( Koumyozan Jurakuji, 7th of Shikoku 88 )
Above sea level 42m
第7番札所 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ) 
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん あみりた ていせいから うん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 にんげんの はっくをはやく はなれなば いたらんかたは くぼんじゅうらく
所在地 徳島県阿波市高尾字法教田58
f:id:boianuf:20190617123902j:plain
☆ 竜宮門形式の山門を入ると前に水子地蔵が並んでいる。左側の石段を数段上ると遍照殿の額がかけられた中門がありその上層は愛染堂となっている。中門の向かいに手水鉢があり左に奥へ入ると本堂が、さらに左へ行くと治眼疾目救歳地蔵の小堂があって、その先の石段を上ると大師堂がある。本堂の向かいのあたりに十三不動明王像がある。納経所は中門を背にして右にある。(Wikipediaより)☆
☆ この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。(四国ネットより) ☆

7番十楽寺の山門  10:52 01.03.2013

7番十楽寺の山門、安楽寺の山門同様の様式です 10:53 01.03.2013
Samnon of Jurakuji temple

7番十楽寺の本堂 11:22 01.03.2013
Main hall of Jurakuji temple

7番十楽寺の大師堂(左上) 11:22 01.03.2013
Daishi hall of Jurakuji (upper left)

7番十楽寺山門にて 01.03.2013


平成25年3月1日(金))
8番熊谷寺 ( Fumyouzan Kumataniji, 8th of Shikoku 88 )
Above sea level 109m
第8番札所 普明山 熊谷寺 (ふみょうざん くまたにじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 たきぎとり みづくまたにの てらにきて なんぎょうするも のちのよのため
所在地 徳島県阿波市土成町土成字前田185
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☆ 壮大な山門をくぐって50mほど進み公道を横断すると右手に弁天池が左手には寺務所がある。駐車場の先から左手に上がっていくと参道の左側に多宝塔が建っている。石段を上がると中門に至る。さらに石段を少し上ると右側に手水場があり、正面に本堂が建つ。本堂手前の左手に鐘楼があり、その先の36段の石段を上っていくと大師堂がある。納経所は駐車場の南側である。(Wikipediaより)☆
☆ のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。(四国ネットより) ☆

8番熊谷寺の山門(1678年の建造物)12:09 01.03.2013

8番熊谷寺の山門(1678年の建造物)12:09 01.03.2013
Sanmon of Kumataniji temple

8番熊谷寺山門の仁王像

8番熊谷寺山門の仁王像

8番熊谷寺のの多宝塔 12:11 01.03.2013
Two-story pagoda of Kumataniji temple

8番熊谷寺のの多宝塔 12:11 01.03.2013
Two-story pagoda of Kumataniji temple

8番熊谷寺の中門 12:13 01.03.2013

8番熊谷寺の中門、多聞天持国天の像 12:14 01.03.2013
Inner gate of Kumataniji temple

8番熊谷寺の手水舎 12:15 01.03.2013

8番熊谷寺の本堂 12:15 01.03.2013

8番熊谷寺の本堂と大師堂(左上)  12:17 01.03.2013
Main hall (right) and Daishi hall (upper left)

8番熊谷寺の大師堂から鐘楼を眺める  12:34 01.03.2013
Views from Daishi hall (Bell tower)
  12:34 01.03.2013

8番熊谷寺大師堂の前にかわいい綺麗な花が咲いていました  12:34 01.03.2013
Flowers of the season in front of Daishi hall
  12:46 01.03.2013


平成25年3月1日(金)
9番法輪寺 ( Shogakuzan Hourinji, 9th of Shikoku 88 )
Above sea level 31m
第9番札所 正覚山 法輪寺 (しょうがくざん ほうりんじ)
本尊  涅槃釈迦如来 (ねはんしゃきゃにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなんばく」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 だいじょうの ひほうもとがも ひるがへし てんぼうりんの えんとこそきけ 
所在地 徳島県阿波市土成町土成字田中198-2
f:id:boianuf:20190617123927j:plain
☆ 両側に大草鞋がかけられた重層の山門を入ると左側に手水場がある。最も奥に本堂が建ち、本堂の右に大師堂が並ぶ。本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。その休憩所の左手に鐘楼がある。(Wikipediaより)☆
☆ 田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。(四国ネットより) ☆

9番法輪寺の山門  13:09 01.03.2013
Sanmon of Horinji temple

9番法輪寺の本堂(左)と大師堂(右) 13:37 01.03.2013 
Main hall (left) and Daishi hall (right) of Horinji temple

9番法輪寺の本堂(左)と大師堂(右)  13:37 01.03.2013 
Main hall (left) and Daishi hall (right) of Horinji temple

9番法輪寺の手水舎 13:37 01.03.2013 

9番法輪寺の納経所は本堂の左 13:37 01.03.2013 


平成25年3月1日(金)
10番切幡寺( Tokudozan Kirihataji, 10th of Shikoku 88 )
Above sea level 157m
第10番札所 得度山 切幡寺 (とくどざん きりはたじ) 
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 よくしんを ただひとすじに きりはたじ のちのよまでの さわりとぞなる
所在地 徳島県阿波市市場町切幡129
f:id:boianuf:20190617123937j:plain
☆ 山門を抜けて参道を進むと経木場があって、その横から333段の石段が始まる。沿道には石仏が祀られており、上部の女厄坂、男厄坂を上りきると右手に手水場、その後ろに鐘楼がある。正面奥に本堂があり、その右にはたきり観音像が建てられている。本堂手前の右側には大師堂が、左側には不動堂がありその先の石段を上ると大塔がある。その高台からは吉野川が流れる平地や第十二番焼山寺のある山々を望むことができる。納経所は手水場の向かい側にある。(Wikipediaより)☆
☆ 最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。弘仁のころ、山麓の貧しい小部落にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。(四国ネットより) ☆
14:23 01.03.2013
10番切幡寺の山門
14:23 01.03.2013
10番切幡寺の山門(以前の門とは違う近年に再建されたようです)
Sanmon of Kirihataji temple

10番切幡寺山門周辺は道も細く狭かった子供の頃とはずいぶ様子が換わっておりました。
経木場  14:26 01.03.2013

10番切幡寺の境内  14:30 01.03.2013

10番切幡寺の本堂(子供の頃には縁日に出店もありよく訪れました) 14:47 01.03.2013
Main hall of Kirihataji temple

10番切幡寺の大師堂と鐘楼  14:47 01.03.2013

10番切幡寺の大師堂と鐘楼  14:47 01.03.2013
Daishi hall and Bell tower

10番切幡寺の大師堂  14:46 01.03.2013

10番切幡寺の納経所  14:46 01.03.2013
この日切幡寺での納経を終わると天気が急変し冷たい風雨になり
急いでレインウエアを着ての歩行と成った、このあと鴨島の宿までず〜と雨でした。
昼食は八幡のうどん亭で雨宿りも兼ねて済ませたが、写真は撮り忘れました。



吉野川沈下橋  16:24 01.03.2013

吉野川沈下橋    16:26 01.03.2013

吉野川沈下橋    16:27 01.03.2013

吉野川沈下橋    16:43 01.03.2013
八幡と吉野川の中州をつなぐ潜水橋(大水時は沈下)をわたる(車の橋上対向走行は不可)
I cross the Yoshino River Bridge in diving

川島側の潜水橋(川島橋)  16:47 01.03.2013
I cross the Yoshino River Bridge in diving
  16:49 01.03.2013
川島側の潜水橋(川島橋)を渡り吉野川の南岸へ(車の橋上対向走行は不可)歩行者は
欄干も無いので橋を渡るには要注意が必要です。
I cross the Yoshino River Bridge in diving
  17:26 01.03.2013
南岸に上がってから12番藤井寺を目指し歩きますこの間は歩き遍路が迷うこがないよう
随所に遍路道サインが有りました。
  17:35 01.03.2013
12番藤井寺の近くまで着ました。17時を過ぎているのでお参りは翌日にし 17:35
(納経所は62番宝寿寺を除き7時〜17時まで)
Sanmon and Bell tower of Fujiidera temple

Room of Yoshino Inn
宿の玄関でバスタオルを受け取り濡れている、お杖、菅笠、レインウエア、ザックの雨しずく
をふき取り靴の中敷(インソール)を取り出し中を乾燥させる。

部屋にはエアコンが有り濡れたレインウエアや白衣、ザック、カバー等を乾かせる。
Room of Yoshino Inn
順番で風呂に入り、洗濯物を洗濯機と乾燥機を使ってした(自分でするのは何十年ぶり?)
  18:23 01.03.2013
旅館吉野の夕食です Dinner of the day
  18:23 01.03.2013
旅館吉野の夕食です Dinner of the day
修行の旅ゆえ酒は旅が終わるまで飲まず通しました。18:23
3日目の昼食用お弁当を頼んではやめの就寝(その前に足をぶらぶらさせ充分ほぐしておく)